Crystal Blog

青空のもと、スポーツを観戦するのにピッタリの季節になりました。
サッカーは各年代の日本代表チームが、さまざまな海外の大会に挑んでいます。海外なので生で観戦というわけにはいきませんが、非常に楽しみですね。

A代表チームは、コパ・アメリカというブラジルでおこなわれる大会への参加です。コパ・アメリカはもともと南米選手権という名称。つまりは南米でナンバーワンを決める大会です。そこに日本代表が出場するって??と思う方もいるかもしれませんね。実は日本代表は過去にも参加したことがあり、確かに私もその時は違和感がありました。

南米のチームのみ、南米で1番強いチームを決めるこの大会は、ある時期から南米以外からの招待チームを呼ぶようになりました。これも時代の流れなのでしょうね。日本は何度か過去に招待されています(参加は1度)。権威ある大会ですから、それはそれで栄誉と考えていいでしょう。

さて今回は、まだコパ・アメリカが南米のチームだけで競っていた頃のお話です。
私が最初にコパ・アメリカを知った時には、京都に来ていました。もともとは関西以外の出身でしたので、京都の地を踏むのは初めて。それどころか地元以外の場所を旅行したこともほとんどないという、まさに「田舎のネズミ」状態の自分でした。

コパ・アメリカの開催は夏です。
私が京都を訪れたのも夏でした。静かで落ち着いた町、お寺が多い場所、そんなイメージばかりを持っていたのですが・・・とにかく「暑い」でした。夏だから暑いのはあたり前だったのですが、それまで私が知っているのとはまったく別の暑さがそこにはありました。いろいろと名所に行ったはずなのですが、ただ暑かったことしか覚えていません。それくらい衝撃的な暑さだったのです。

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私がコパ・アメリカとこの京都の思い出をどうして結びつけてしまうのかというと、たまたま京都の街中で通りかかった本屋さんで、サッカー専門誌の「コパ・アメリカ優勝速報号」というのを見かけたからです。今では考えられませんが、その頃は専門誌の情報がほぼ唯一のサッカー情報だったのです。

ですから雑誌を見かけた時は、コパ・アメリカの優勝チームがどこかも知りませんでした。その表紙はスカイブルーのユニフォームをまとった、エンツォ・フランチェスコリが優勝カップを手にした写真でした。フランチェスコリとはウルグアイの当時のスーパースターです。しかしウルグアイは前年のワールドカップで大きく評判を落とすラフプレーを連発、成績も振るいませんでしたので、優勝トロフィーを掲げる写真には目を疑いました。

私はその雑誌を旅先の京都で買いました。だから初めての京都とコパ・アメリカは、セットの思い出となっているのです。
その何年かあと、自分がまさか京都に住むことになろうとは思いませんでした。ですからあの夏の暑さも、何度もそこから経験することになったのです。

さらに時間を経て、京都を離れてからずいぶんと経ちました。今は京都のことも噂で聞くくらいですが、いろいろと変わったそうです。私の住んでいた頃の思い出の場所が少しだけでも残ってくれているといいな、と願うばかりです。

トロフィーも時代とともに新調されていきます。しかし基本のフォルムは大きく変わらないもの。それを思うとトロフィーというのは、伝統を継承する素晴らしきオブジェといえます。

 
クリスタルトロフィー【CR-7】
クリスタルトロフィーCR-7

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