Crystal Blog

歴史の中で育まれてきたガラス文化が、日本各地には存在します。
今回はその中から鹿児島、さらに海を越えた沖縄の二つのガラス文化について紹介しましょう。

■鹿児島

鹿児島には「薩摩切子(さつまきりこ)」というものがあります。
切子というのはガラスの表面にカットを入れる職人業。各地に存在するもので、鹿児島でも日本が近代化しようとする幕末から明治にかけて、この技術が育まれていました。

この中心となったのが、薩摩藩11代藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)です。島津氏は江戸時代には外様大名でしたが、その名はよく知られています。
それもそのはず、もともと鎌倉時代から南九州を治め、一番勢力を誇った時期には九州全土を制していたといいます。これだけ長いあいだ広く統治をおこなっていたとなれば、現代もその名が残っていて当然でしょう。

日本の近代化は外国が日本にやって来るというだけではなく、日本人が海の向こうに出ていくといった側面もありました。そのための手段の一つとして用いられた一つが、海外との交易品となる薩摩切子だったというわけです。

島津斉彬はこれを積極的に推し進め、様式の産業に取り組む集成館事業をおこなっていました。その一つである硝子工場は、最盛期には百を超える職人の姿があったといいます。
しかし明治の初め頃にその技術は途絶えてしまい、復興されたのは1985年のことです。
そのため古の薩摩切子で現存するものは大変少なく、貴重な骨とう品として今日は知られています。
ただ美しい色合いが特徴的だった薩摩切子の技術そのものを現代に復活させようと、神話の郷である霧島の工房が取組んでいます。また集成館事業の中心地であった鹿児島市吉野町では、今も残る史跡とともに、薩摩切子を伝え復興する事業がおこなわれています。

■沖縄

沖縄は日本の中でも独自の文化が育まれている場所として、大変に人気があります。観光のイメージが強いですが、最近では仕事と共に居住を移し、大自然の中で伸び伸びと暮らすライフスタイルを志向する人たちも増えてきています。

ガラス文化に目をやると、「琉球ガラス」というものが存在します。
琉球ガラスの発展は、興味深いものがあります。もともとは長崎や大阪から来たガラス職人によりその技術が伝えられたということですが、戦後に駐留アメリカ軍が使ったビールやコーラの瓶を再生し、少し変わったデザインとして再びアメリカ人の手に戻していったというのが始まりです。そのため各地の伝統的な切子とは、一線を画す見栄えになっています。また用途としても実用品寄りです。

沖縄には体験教室もおこなわれている「琉球ガラス村」といった施設もあり、琉球ガラスをより身近に感じることができます。また沖縄の魅力が広く知れ渡るとともに、地域ブランドとして知名度もあげてきています。沖縄の大自然や歴史とともに、琉球ガラスの魅力にふれる旅というのもいいかもしれません。

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鹿児島の薩摩切子とよく比較されるのが、江戸切子です。
この二つにはカットした後のガラスの残り方に違いがあるなど、個性が大きく分かれます。

ソフィアクリスタルでもカガミクリスタルの江戸切子グラスを取り扱い、大変人気が高い商品となっています。美しいデザインとともに、オリジナルのメッセージを彫刻できますので、贈り物としてぜひご検討ください。
 
カガミクリスタル 名入れ江戸切子グラス【GL-17-FA】
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