Crystal Blog

私たちがメインの商品として扱うガラス製品は、記念品や贈り物といった用途です。しかしガラスについて幅広く見れば、日常にあふれている、とても馴染みの深い素材です。
このガラスについて、日本ではいつくらいから使われるようになったのでしょうか。

その答えは、弥生時代です。
歴史(社会)の授業をちょっと思い出してみましょう。
学校の授業では「稲作の始まり」「弥生式土器」「高床式倉庫」といったあたりを、この時代を代表するものとして勉強したはずです。
この弥生時代前期の遺跡からガラス玉が出土されたことで、「日本でガラスが使われるようになったのは、弥生時代」というのが一般的になっています。

ただし、ガラスの始まりを弥生時代と言いきるわけにもいかないようです。というのも、縄文時代後期の遺跡からガラスが発見された、という事実もあるからです。
縄文時代後期を代表する遺跡として青森の「亀ヶ岡石器時代遺跡」というのがあるのですが、ここでガラス小玉が発見されています。縄文時代の遺跡から発見されているならば始まりはそこでは?と考えてしまいますが、そう単純にいかないのが歴史の複雑さであり、面白さです。

亀ヶ岡が縄文後期の遺跡ということで弥生時代に近いこと、それに加えて発見されるまでガラスの始まりは弥生時代という定説があったため、今でもその歴史を完全に書き換えられてはいないようです。歴史というのは新たな発見がされれば変わるもの、というのではないのですね。聖徳太子も学校の授業で習った、習っていないというのが世代によって分かれるはずですが、これもそんな一例といえます。
なお亀ヶ岡石器時代遺跡というのは面白い場所で、あの有名な遮光器土偶もここから出土されました。「遮光器土偶って?」という方は、下記のサイトで確認してみてください。きっと見たことがあるはずです。

史跡 亀ヶ岡石器時代遺跡
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000056.html

このように日本のガラスの始まりを追っていくと歴史の迷路に入ってしまうのですが、広く使われるようになったのは弥生時代というのは一致しています。

この頃の使われ方は日用品としてではなく、装身具や副葬品としての用途です。また日本で作られたものではなく、海外から入ってきた品と考えられています。
弥生時代はあの卑弥呼の邪馬台国があった時代。そして邪馬台国も中国の「魏志倭人伝」により伝えられている国ですから、この時代には海外とさまざまな交流があり、その中の一つとしてガラス玉があるというのは必然といえそうです。

なお邪馬台国についても、多くのことが語られていますね。場所については畿内説と九州説が有名ですが、これ以外にも徳島こそがそうだった、という新説も出てきているみたいです。
ガラスとの関係でいえば、邪馬台国の遺跡ではないかとされる場所からガラス製勾玉の出土が多くあるなど、また深い関りを持っています。確かに邪馬台国や卑弥呼とガラスというのは、イメージとしてもピッタリ合う気がしますね。

弥生時代も後期になってくると、日本国内でガラスの加工がおこなわれていたことを示す痕跡も出てきます。
遥か遠い時代から、私たちはガラスをさまざまな形へと加工する技術を得て、発展させていたことがわかります。
日本国内でのガラスの始まりや広がり、遠い時代からのことを考えると、クリスタルガラスの輝きもいっそう味わい深いものに思えてきます。
 
クリスタル ガラスの靴【CH-1-jw】
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